予定になかった松濤美術館。髙島野十郎と、K-1+FA31mmで見た光

松濤美術館の曲線と青空

8月2日。

この日も夏の日差しが強く、かなり暑い一日だったと思う。

妻の母親と待ち合わせをして、渋谷のVIRONでランチをする予定だった。

ただ、前日まで夫婦ともに仕事が忙しく、お店を予約する余裕もないまま当日を迎えてしまった。

まあ何とかなるだろうと思って向かったものの、さすがに週末のVIRONを予約なしでは甘かった。

案内された待ち時間は、2時間近く。

外で時間を潰すにも、この日の渋谷はとにかく暑い。

そこで近くに何かないか調べてみると、松濤美術館がすぐ近くにあることに気づいた。

以前からInstagramでフォローしている方が、いろいろな美術館を紹介していて、その中で最近見かけていた場所だった。

一度行ってみたいと思っていたので、これはちょうどいい。

とはいえ、「近い」と言っても真夏の渋谷。

日陰の少ない街を少し歩いただけで、かなり汗だくになった。

元気なのは娘だけだった。

目次

何の展示かも知らずに入ったら「没後50年 髙島野十郎展」だった

正直に言うと、展示内容すら確認せずに松濤美術館へ入った。

画家には申し訳ないくらい、完全に「ランチまでの時間を過ごす場所」としてやってきた。

そこで偶然開催されていたのが、渋谷区立松濤美術館の「没後50年 髙島野十郎展」だった。この日は前期最終日の8月2日。展覧会の公式情報はこちら。

渋谷区立松濤美術館で開催された没後50年 髙島野十郎展の入口
予定になかった立ち寄りで、偶然出会った「没後50年 髙島野十郎展」。この日は前期最終日の8月2日だった。

入口には鮮やかな果実を描いた作品のポスターが掲出されていた。館内で見た静物画も印象に残ったが、ポスターと同じ作品だったかどうかは覚えていない。

最初は単純に「きれいな絵だな」くらいの気持ちで見ていた。

髙島野十郎展で展示されていた果実の静物画
展示室で目に留まった静物画。写実的なのに、色や形の捉え方には独特の緊張感があるように感じた。

ところが実際に作品を見始めると、思っていた印象とはかなり違った。

まず感じたのは、目の前にあるものをかなり丁寧に見つめて描いているような写実性だった。

ただ、見れば見るほど、単純に見たものをそのまま再現しているだけではないことにも気づく。

よく見るほど、「確かにそこにあるものを描いているのに、なぜこんなふうに見えるんだろう」と考えさせられる。

目の前のものに忠実に向き合っているように見えるのに、単なる再現ではない。

髙島野十郎展で展示されていた木々と光を描いた作品
木々の奥に光が浮かぶ作品。見たものを描いているはずなのに、ただの再現には見えなかった。

森の光や蝋燭の炎のような身近な対象でも、その見え方には野十郎独自のものがあるように感じた。写実的なのに、見る側の頭を妙に働かせる。そこが自分にはとても面白かった。

髙島野十郎展で展示されていた蝋燭を描いた作品群
繰り返し描かれた蝋燭。暗闇と炎だけなのに、見ていると意識がそこへ吸い寄せられる。

気づけば、一枚一枚の前で立ち止まる時間が長くなっていた。

自分が写真で好きなのも、派手な演出を加えたものより、その時そこにあったものを、自分がどう見たかが残っている写真だ。

もちろん勝手な解釈ではあるけれど、髙島野十郎の絵を見ながら、「自分が写真で残したいと思っているものと、少し近いところがあるのかもしれない」と感じた。

何も考えずに入った美術館だったのに、思いがけずかなり好きな展示に出会ってしまった。

ただ、娘にはちょっと暗かった

そんなふうに作品を見始めたものの、娘からすると館内は少し暗かったらしい。

「怖いー」

となってしまい、その後はずっと抱っこ。

さすがにこのまま展示をじっくり見るのは体力的にも厳しくなってきた。

そこで妻たちが鑑賞している間、自分と娘は美術館の中を歩きながら過ごすことにした。

そして、ここからカメラの出番になった。

松濤美術館の建物が思った以上に面白かった

渋谷区立松濤美術館の円形の吹き抜けと曲線的な建築
曲線が印象的な松濤美術館。31mmの広さが、この日はちょうどよかった。

松濤美術館は、建物の中央部分が吹き抜けのようになっていて、下には噴水がある。

展示室のある階から、その空間を上から眺めることができる。

ちょうどいい時間帯だったのか、上から差し込んだ光が水面に当たり、館内に反射していた。

松濤美術館の上階から中央の噴水を見下ろした風景
上階から中央の噴水を見下ろす。娘と一緒に、光が水面に落ちる様子を眺めた。

曲線を使った建物の造形も面白い。

真っ直ぐな柱や窓が並んでいるのに、そこへ大きなカーブが加わることで、立つ位置によって建物の形がかなり違って見える。

松濤美術館の曲線的な渡り廊下と吹き抜け
立つ位置を変えるたび、直線と曲線の重なり方が変わる。建物そのものを歩いて見るのが面白かった。

建築写真を撮ろうと思って来たわけではなかったので、余計に面白かった。

「こっちから見るとこうなるのか」と、娘と歩きながら何度も上を見たり下を見たりした。

黒い床に落ちる光

館内で特にきれいだと思ったのが、縦長の窓から入ってくる光だった。

黒く光沢のある床に窓の形がそのまま反射して、かなり印象的な景色になっている。

その窓の前にはベンチが置かれていた。

松濤美術館のベンチと黒い床に反射する縦長の窓の光
縦長の窓から入る光が、黒い床に長く反射していた。

逆光になる位置なので、誰かが座ったら面白そうだなと思っていたら、娘が早速くつろぎ始めた。

美術館まで来て、完全に家にいる時と同じようなくつろぎ方をしている。

今回は顔が分かる写真はブログには載せず、写真は空間の雰囲気が伝わるものを中心に選ぶことにした。

久しぶりのK-1 Mark II+FA31mm

この日は久しぶりに、PENTAX K-1 Mark II+smc PENTAX-FA 31mm F1.8 Limitedを持ち出していた。

FA31mmにはKenko BLACK MIST PROTECTORを付けている。

最近の自分の撮り方だと、K-1で31mmは少し広すぎると感じることがある。

特に子どもとの散歩では、もう少し狭い40〜45mmくらいの方が自然に撮れることが多い。

でも、この日は31mmでよかった。

松濤美術館のように、建物そのものの形や、その場の空間まで一緒に残したい場所では、この広さがかなり使いやすい。

娘だけを撮るのではなく、「この大きな建物の中に娘がいた」ところまで一枚に入れられる。

BLACK MIST PROTECTORも、今回のように窓から強い光が入る場所では相性が良かったように思う。

ハイライトが強く出る場面でも、光が少し柔らかく周囲になじむ。

FA31mmの描写を大きく変えてしまうほどではなく、少しだけ光の角を取ってくれる感じが自分にはちょうどいい。

今回使ったカメラとレンズ

今回使用したPENTAX K-1 Mark IIとFA31mm Limited。※以下の商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。

予定外だったからこそ、記憶に残った日

妻たちが髙島野十郎展を見終えるまで、娘と館内を歩いて、写真を撮って過ごした。

もともとはVIRONの順番待ち。

松濤美術館へ行く予定もなければ、髙島野十郎展を観る予定もなかった。

それなのに結果的には、絵を見て、建物を見て、光を見て、娘の写真を撮って。

思っていた以上にいろいろなものを持ち帰ることになった。

その後は、再び暑い渋谷を歩いてVIRONへ。

あれだけ汗だくになったことまで含めて、今となってはこの日の記憶だ。

そして髙島野十郎の絵は、今度はもう少し余裕のある時に、もう一度ゆっくり見てみたい。

何も知らずに入ったからこそ、余計な先入観なく見られたのも良かったのかもしれない。

予定を立てて行った場所より、こんなふうに偶然立ち寄った場所の方が、妙に長く記憶に残ることがある。

この日は、そんな一日だった。

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