この日は、PENTAX K10D+FA31mmと一緒に、K-1 Mark II+SIGMA 35mm F1.4 Artも持って明治神宮へ。K10DではFA31mmを付けて35mm判換算約47mm、K-1 Mark IIでは35mmをそのまま35mmとして使った。
数字だけを見ると12mmの差しかないけれど、実際に2台を行き来しながら撮ってみると、見える範囲はもちろん、構え方や被写体との距離まで少しずつ変わっていく。その違いが思っていた以上に大きく、同じ場所を見ていても写真の組み立て方まで変わっていくのが面白かった。
K-1 Mark IIでは、木々の間に残った西陽だけでなく、その周りの暗さや参道の空気まで少し広く残していくような感覚で撮っていた。
47mmと35mmの違いは、単に画角が広いか狭いかではなく、写真の中にどこまで「周り」を残すかという感覚の違いにもつながっているように感じる。

47mmと35mmを行き来しながら
2台を使っているうちに、自分にはどうやら撮りやすい順番があるらしい、と気づいた。
まずK10D+FA31mmの約47mmで、気になったものを中心に見ていく。そこで主役を決め、その周りをどこまで残すかを考えてから、K-1 Mark II+35mmへ持ち替える。
35mmに替えたら、少しだけ自分が前へ出る。すると、さっき見ていたものを中心にしながら、その周囲の木や地面、光まで自然に画面へ入ってくるので、この流れは自分にはかなりしっくりくる。
反対に、先に35mmで広く見てから47mmへ戻ると、今度はどこまで切るかをもう一度考え直すことになり、最初のうちは少し戸惑った。
最近はだいぶ慣れてきたものの、焦点距離の違いは単に「広い・狭い」ではなく、撮るときの考え方そのものにも少し影響するものなんだと思う。

夕方の林に残った光
夕方の明治神宮は、林の中から少しずつ暗くなり始めていて、その一方で、低くなった西陽だけがところどころに残っていた。
芝生の一部分だけが明るかったり、木の幹の片側だけが照らされていたりして、暗くなっていく林の中に光の跡だけが残っているように見えた。

何か特別なものがあったわけではないのに、暗い林の中に残った光が妙にきれいに見えて、気づけば何度か足を止めていた。
こういう場面では、光の当たった場所だけを切り取るより、その周りにある暗さまで一緒に残せる35mmの方が、自分の見え方に近い気がする。
明るいところと暗いところ、その両方が同じ画面にあることで、あのとき実際に見ていた景色の感覚に少し近づく。

K-1の重厚さに、SIGMAのクリアさ
K-1 Mark IIの写真には、自分にはどこか重さがあるように感じる。今回のように暗い木々が多い場面でも、シャドウが薄くならず、画面全体にしっかりとした密度が残るところが好きだ。
そこにSIGMA 35mm F1.4 Artのすっきりした描写が重なる。葉や木の幹は細かく見えるのに、硬さばかりが前に出る感じではなく、西陽の当たったところにはちゃんと抜けがある。
このK-1の重厚さにSIGMAのクリアさが加わる感じが、自分にはちょうどいい。
解像感だけが強く出るわけでも、柔らかくまとめすぎるわけでもなく、暗いところは暗いまま残りながら、その中から光が自然に浮かび上がってくる。
今回の明治神宮では、そのバランスが特に好みに合っていたように思う。
写真に、少し余白を残しておきたい
写真を撮るとき、自分は「こう見てほしい」と強く誘導するような写真より、見る人が少し立ち止まり、自分なりに眺められる余地のある写真の方が好きだ。
撮影者の視点も、写真の中から少し探れるくらいでちょうどいい。
「ここが主役です」「こう感じてください」と説明しすぎるより、写真の中に少し余白があり、その中を目で歩けるような方が自分には合っている気がする。
現像もその考え方に近く、大きく作り込むというより、ホワイトバランスや露出、必要なら色かぶりを整える程度にして、見た景色から離れすぎないところで止めることが多い。
もちろん、これはあくまで自分の好みの話で、そういう写真の方があとから見返したときにも違和感が少ない。


見た景色から、離れすぎないように
PENTAXの魅力として公式にどう表現されているかは別として、自分が使っていて惹かれるのは、肉眼で見た景色から大きく離れない素直さのようなものだ。
光学ファインダーを通して実際の光を見ながらシャッターを切るからこそ、あとで写真を見たときに「あれ、こんな景色だったかな」と感じる差には、自然と敏感になるのかもしれない。
忠実再現という言葉だけで片付けられるかは分からない。それでも、「あのとき、こういう光だったな」と自然に思い出せることは、自分にとってかなり大切にしたい部分だ。
散歩の中に残った、二人の影
境内を歩いていると、西陽で娘の影がずいぶん長く伸びていて、その形が目に入った。
ちょうど娘と手をつないで歩いていたので、そのままカメラを少し下に向けてみる。
すると、自分と娘の影、その間につないだ手までひとつの画面に収まった。

こういう何気ない場面を、そのままの距離で残せるのも35mmの好きなところで、撮るために距離を取り直さなくても、歩いていた流れの中でそのままシャッターを切れる。
あとで思い返したいのは、明治神宮のきれいな景色だけではなく、娘と手をつないで歩いていたことや、夕方の低い光、地面に長く伸びた二人の影まで含めた、この日の散歩そのものだった。
写真だけを見れば、ただの影に見えるかもしれない。でも何年か後に見返したとき、この日のことがふっと戻ってくるなら、それで十分なんだと思う。

少しずつ暗くなる参道
帰る頃には、参道の地面にはもうほとんど西陽が届かず、明るさは木々の高いところにだけ残っていた。
そのぶん、少しずつ行灯の光の方が目に入るようになってきて、昼から夜へ移っていく時間がはっきりしてくる。


人が歩く参道を35mmで撮ると、大きな木々と、その下を歩く人の小ささが同じ画面に入り、その対比も含めて、その時間の明治神宮らしい空気が残るように感じる。
最後はかなり暗くなっていたものの、木の間にはまだ少しだけ空の明るさが残っていて、そのわずかな光がかえって印象に残った。


こういう景色は無理に明るくしすぎない方が自分には自然に見えるし、夕方だったことや、日が落ちていく感じまで一緒に残しておきたい。
今回使ったカメラとレンズ
スペックは写真を見るうえで関係しやすいものだけを抜粋し、この日の撮影で感じた特徴も合わせてまとめます。
PENTAX K-1 Mark II
35mmフルサイズCMOS/有効約3640万画素/5軸ボディ内手ぶれ補正SR II/視野率約100%の光学ファインダー。
今回のような暗い林と強い西陽が同居する場面では、暗部に重さを残しながら明部まで自然につながる階調が印象的だった。
SIGMA 35mm F1.4 DG HSM | Art
焦点距離35mm/開放F1.4/最短撮影距離約0.3m/フルサイズ対応。
細部をクリアに描きながら、35mmという画角で周囲の空間まで入れられる。特に今回感じたのは、娘と手をつないで歩くような近い距離でも、その関係と周囲の景色を一緒に残せること。K-1 Mark IIの重さのある描写に、このレンズのクリアさが合わさるバランスが自分にはかなり好みだ。
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写真を見返したときに残っていてほしいもの
今回撮ったのも、何か特別な出来事ではなく、夕方の林に差した光や、参道を歩く人、娘と手をつないでできた影といった、その日そこにあったものばかりだった。
それでも、あとから見返したくなるのは、案外こういう写真なのかもしれない。
写真を見た瞬間の強いインパクトより、その写真を見たときに、自分がその日見ていたものを思い出せること。 自分にとっては、やっぱりその方が大切なんだと思う。
K-1 Mark IIと35mmは、そんな記憶を少し広めの景色ごと残してくれる。この日の明治神宮では、その距離感がとても自然だった。
