最後の西陽だけが残っていた。PENTAX K10D+FA31mmで歩く夕方の明治神宮

夕方の明治神宮参道で木々の上の方だけに斜めの西陽が残る風景

運動会を終えて、いつもより少し早く帰宅した日。

朝から外にいたし、そのまま家でゆっくりしてもよかったのだけれど、まだ一日は終わっていない。娘と一緒に、明治神宮の参道を少し歩きに行くことにした。

この日持っていったのは、PENTAX K10D+HD PENTAX-FA 31mm F1.8 Limited+Kenko BLACK MIST PROTECTOR。

撮影後はLightroomで普段使っているプリセットを当て、写真ごとにハイライトなどを少し調整している。K10Dはかなり古いカメラだけれど、最近は新しいカメラとはまた違う、このカメラの色や階調のつながりが気に入っている。

目次

運動会のあと、もう少しだけ外へ

特別な目的があって明治神宮へ向かったわけではない。娘と歩きながら、気になったものがあれば撮る。それくらいの気持ちだった。

朝から運動会だったこともあって、娘も自分も一日分の予定はすでに終えたような感覚だったけれど、夕方までにはまだ少し時間が残っていた。こういう「予定のあとの時間」は結構好きだ。

運動会後に明治神宮へ向かう途中、歩道に伸びた親子の影
運動会が終わった午後。娘ともう少しだけ歩きたくなって、明治神宮へ向かう途中。

途中では娘がポニーにも乗った。今回の記事の主役ではないので、写真は後ろ姿を一枚だけ。あとから写真を見返したときに「ああ、この日だったな」と思い出すためには、こういう一枚が案外大事だったりする。

明治神宮近くでポニーに乗る子どもの後ろ姿
ポニーに乗る娘の後ろ姿。この日の記憶をつなぐ一枚。

いつものお手水も、光が変わると違って見える

明治神宮には何度も来ているので、お手水の建物自体は見慣れている。

でもこの日は、木々の間から入った光が屋根や柱、地面にまだらに落ちていた。いつも見ている場所なのに、光が変わっただけで急に面白く見える。

建物が変わったわけでもない。何か特別な出来事が起きたわけでもない。ただ、木漏れ日が作った明暗だけで立ち止まりたくなった。写真を撮っていると、こういうことがよくある。

木漏れ日が屋根や柱に差す明治神宮のお手水
木漏れ日が屋根や柱に落ち、いつものお手水が少し違って見えた。

林の緑に差し込む、少し傾いた西陽

参道を歩いていると、さらに光が低くなってきた。

明治神宮の参道の林に斜めの西陽が差し、緑にグラデーションができた風景
傾いた西陽で、黄緑から深い緑へと階調がつながっていく。

少し傾いた西陽が林の中に入り、葉の色に何段階ものグラデーションを作っていた。光を受けているところは明るい黄緑。そこから緑、深い緑へと少しずつ暗くなっていく。さらに光は、落ち葉の積もった地面にも届いていた。

明治神宮の林で落ち葉の積もった地面まで西陽が差す風景
落ち葉の積もった地面まで届いた西陽。明るい部分と影のつながりが印象に残った。

ただそれだけなのに、ものすごくきれいに見えた。

最近こういう、何でもない光の変化だけで結構感動してしまう。歳とともに涙もろくなっただけなのかもしれない。ドラマでも親子が出てきただけでちょっと泣きそうになるくらいなので、その可能性は十分ある。

でも、写真を撮るには悪い変化ではない気もしている。以前なら通り過ぎていたような光でも「今、きれいだな」と思える。その瞬間に気づけることの方が、カメラの技術より大事なのかもしれない。

この写真で感じたK10Dの描写

今回の写真で特に好きなのが、緑のつながり方だった。

明るい黄緑から、通常の緑、さらに木陰の深い緑まで、急に色が切り替わるのではなく、なだらかにつながって見える。

K10Dについて以前から感じているのが、この中間の色や明るさがしっかり残る感じだ。解像感を強く見せる最近のカメラとは少し違って、輪郭や局所的なコントラストが先に目に入ってこない。

だからといって細部が見えないわけではなく、FA31mmのおかげもあって、葉や幹、落ち葉の細かな形はちゃんと残っている。柔らかいのに、情報量は少なくない。 この日の林には、その描写がとても合っていた。

20年前、1020万画素。それでも写真を見ていると気にならない

このK10Dは、中古で11,500円ほどで手に入れた。

発売されたのは2006年。もう20年前のカメラで、有効画素数は約1020万画素。今のカメラの数字だけを見慣れていると、正直かなり少なく感じる。

買う前は自分も、「1020万画素って、今見るとかなり粗く感じるんじゃないか」と少し思っていた。

でも実際に撮った写真をLightroomで現像して見ていると、今のところ「画素数が少ないから物足りない」と感じることはほとんどない。FA31mmを付けて撮った葉や木の幹、落ち葉を見ても、ブログで見るサイズや普段写真を楽しむ範囲では細かな部分まで十分に残っている。

もちろん、最新の高画素機と等倍で細部を比較すれば違いはあると思う。でも、自分が写真を見るときに最初に感じるのは、解像度の数字ではない。

光のつながりだったり、色だったり、その場の空気だったりする。今回の明治神宮の写真を見ていても、1020万画素だからどうというより、「この光、きれいだったな」という感覚の方が先にくる。

20年前のカメラだから。1020万画素だから。そういう数字は、思っていたほど写真そのものを楽しむことには関係ないのかもしれない。

最近K10Dを使っていると、カメラのスペックを見ることと、写真の写りを見ることは少し別の話なんだなと感じる。高性能であることはもちろん悪いことではない。でも自分にとって大切なのは、そのカメラで撮った写真を見たときに、「この写りが好きだ」と思えるかどうか。

中古で11,500円だったK10Dを持ち歩きながら、そんなことを改めて考えている。

BLACK MIST PROTECTORと西陽

FA31mmには、BLACK MIST PROTECTORを付けている。

今回のように木々の隙間から強い光が入る場面では、その効果も分かりやすかった。明るい葉や地面に落ちた光が、鋭い白い点になるというより、少しだけ周囲になじむ。

光そのものがなくなるわけではないけれど、その輪郭が少し柔らかくなる。FA31mmの描写を大きく変えてしまうほどではなく、強い光の角だけを少し取ってくれる。個人的には、このくらいがちょうどいい。

カラーで見たものと、モノクロで見えたもの

同じ日の写真を、カラーだけでなくモノクロでも現像してみた。

明治神宮の林に差す斜めの西陽をモノクロで表現した風景
カラーでは緑に惹かれた景色も、モノクロでは光の形が前に出てくる。
落ち葉の積もった地面に差す西陽をモノクロで表現した明治神宮の林
色をなくすと、地面に落ちた光と影の境界がよりはっきり見える。

カラーで一番印象に残るのは、やっぱり緑だ。西陽を受けた黄緑と、その奥の深い緑。そこに幹や落ち葉の茶色、夕方の少し黄色い光が混ざる。現場で自分がきれいだと感じたものに近いのはこちらだと思う。

でもモノクロにすると、違うものが見えてきた。色がなくなることで、どこに光が当たり、どこから暗くなっているのかが分かりやすくなる。

カラーでは緑のグラデーションを見ていたのに、モノクロでは光そのものの形を見ている。同じ場所を撮った写真なのに、現像を変えるだけで見ているものまで少し変わる。これは面白かった。

参道が閉まる前、木の上にだけ光が残っていた

さらに時間が進み、参道が閉まる時間が近づいてきた。地面にはもうほとんど直射光が届いていない。林全体もかなり暗くなっていた。

でも上を見ると、木々の高いところにだけ西陽が残っていた。

夕方の明治神宮参道で木々の上の方だけに斜めの西陽が残る風景
日が沈み、木々の上だけに最後の西陽が残っていた。

それだけだった。本当に、それだけ。

でも、自分にはものすごく美しく見えた。一日が終わろうとしていて、下の方から光が消えていき、最後の光だけが木々の上に残っている。光の位置だけで時間が分かる。

こういう景色を見つけたときに、カメラを持っていてよかったと思う。

モノクロにすると、その印象はさらに強くなった。下の参道は深い影になり、上の葉だけが光を拾う。でも黒と白だけに割り切られず、その間にいくつものグレーが残っている。この暗い部分の中にも階調が残る感じは、最近K10Dを使っていて特に好きなところだ。

明治神宮参道の木々の上に残る最後の西陽をモノクロで表現した風景
モノクロにすると、暗部から明部までのグレーの階調が見えやすい。

最後の光

参道を出る頃には、光はもう木々の上に少し残っているだけだった。

派手な夕焼けがあったわけでもない。珍しい景色を見たわけでもない。ただ、いつもの林の中で、一日の最後の光が少しずつ消えていく。それがきれいだった。

写真を撮り始めた頃は、もっと分かりやすく「いい写真」を撮りたいと思っていた気がする。きれいな場所へ行って、目を引くものを撮って。

もちろん今でも、写真として見栄えよく残せるならその方がいい。でも最近は、それ以上に、その時、自分が何に心を動かされたのかが残っている写真の方を大事にしたいと思うようになった。

この日の明治神宮もそうだった。運動会のあとに娘と歩いたこと。ポニーに乗ったこと。木漏れ日の当たるお手水。落ち葉の上に差した西陽。そして、参道が閉まる頃に木々の上だけに残っていた最後の光。

何年かあとにこの写真を見たとき、カメラやレンズのこと以上に、そんな一日のことを思い出せたらいい。それだけで、撮っておく意味は十分あると思う。

日没前の明治神宮で木々の上にわずかな西陽が残る風景
参道を出る頃、木々の上にだけ最後の西陽が残っていた。
日没前の明治神宮で木々の上に残るわずかな光をモノクロで表現した風景
一日の終わりに残ったわずかな光。モノクロにすると、静かな余韻だけが残る。

今回使ったカメラとレンズ

PENTAX K10D

2006年発売/APS-C CCDセンサー/有効約1020万画素/ボディ内手ぶれ補正(SR)/光学ファインダー

今回使った個体は中古で約11,500円で購入。数字だけを見ると古く低画素なカメラだけれど、今回のような西陽と林の写真では、黄緑から深い緑までの色のつながりや、中間調の柔らかさが印象に残った。普段の鑑賞では、1020万画素という数字を意識させられることはほとんどなかった。

HD PENTAX-FA 31mm F1.8 Limited

焦点距離31mm/開放F1.8/最短撮影距離約0.3m/フルサイズ対応。K10Dでは約47mm相当の画角。

K10Dに付けると、見たものを大きく誇張せず自然に切り取りやすい画角になる。葉や木の幹、落ち葉の細かな形まで残しながら、輪郭が硬くなりすぎないところも今回の光には合っていた。

Kenko BLACK MIST PROTECTOR

保護フィルターとして使いながら、ハイライトをわずかに拡散して光を柔らかく見せるタイプ。

今回のように木々の隙間から西陽が入る場面では、明るい部分の輪郭を少しだけ柔らかくしながら、FA31mm本来の細かな描写を大きく崩さない。その控えめな効き方が気に入っている。

RAWデータをLightroomで現像。普段使用しているプリセットをベースに、写真ごとにハイライトなどを微調整しています。モノクロ写真も同じRAWデータから現像しました。

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